【つれづれ】"夢、死ね"はマスコミ業界をめざす学生の必読書! ・・・現役社員も(1) | ササキタイキの思うツボ
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【つれづれ】“夢、死ね”はマスコミ業界をめざす学生の必読書! ・・・現役社員も(1)

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宇野常寛

宇野常寛

をさんざんdisったところ、さてどうするか・・・打ちひしがれてるオイラ。

買ってホコリをかぶっていた

中川淳一郎

中川淳一郎

氏の

“夢、死ね”

を手に取りました。あっという間に、オイラでは早い方の2時間で読み終わった。

・・・涙が出てきた。

“ウェブはバカと暇人のもの”
“ネットのバカ”

で溜飲を下げてもらった上に、更に、こんな素敵な本が書ける人だなんて思わなかったですね。

中川さんの経験談は是非読んでもらうとして、オイラの経験談を書きます。

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夢なんてなかった高校時代

オイラって、“夢”なんてなかったんですよ。昔の友人が“観光学科”に行きたいって言うんで、オイラもって。大学はセントポールって決めていて。ならば社会学だと、滑り止めをキャンパスが家から近い明治学院と遠いけどあれこれ充実している東洋って決めていた。

なんで、“夢”がなかったか。

親はオイラに公務員になって欲しくて仕方なかったんですよ。安定してますからね。でも、オイラはそんなつもりは微塵もない。そこに乖離があった。

そして、ちょうどバブルが崩壊したと同時に一族郎党でやってた会社が倒産しましてね。

別に引っ越したかないのに衣笠の都会から浦賀の田舎の山の上の市営住宅に転居。久里浜の高層住宅って話もあったんだけど、久里浜はヤンキーが多いって妹と反対して・・・今考えたら如何にコレがアホかって実感することになる。

まず、テレビがまともに映らない。日テレ・テレ朝なんてゴーストだらけでまともに映りゃしない。ただ、

横須賀鴨居中継局

のおかげでNHKとtvkは非常にキレイに映った。あとチバテレ、のちにMXテレビ(当時)も。ココにオイラがU局に傾倒するようになった源流があるんですが・・・。

通学には末恐ろしい山坂。衣笠住まいの時、借金のカタにとられる前の汐見台の叔母の家に行くときにこんな階段・・・って思ってたけど、まさか自分が。

当時は始発の快特・特急電車がたくさんあった浦賀ですが、ちょうど通学時刻にはない。

堀ノ内で乗り換えて久里浜始発のものスゴい混雑の通勤快特に揺られて・・・。運輸省(当時)の鉄道要覧によれば横須賀中央~汐入の混雑率は131%だったそうですから、混む電車は恐ろしく混んでた・・・って事なんでしょうね。

通学でヘトヘト、中2のビリ・校長父兄呼び出しからなんとか文系序列ではトップ10以内までもっていた成績も・・・この引越で見るも無惨に。

なんたってガキだらけ。そりゃ低所得者の集団ですからね。やかましくて勉強どころじゃない。FMをガンガンかけて、音をかき消す・・・って術を知ったのは時すでに遅しの高3の末。その時にはタダのクラスに行って、苛められて・・・。

そんな時の心の癒しが、受信不良対策で引かれたCATY(CATV横須賀)だったのです。なんと面白かったことか。特にテレビ埼玉。

母親は酒に溺れ、さんざん生活費に寡婦福祉修学支度金や日本育英会の奨学金を使い込みながら、

“さっさと公立に転校してよ!!”

なんて平気で言う。自分が“息子を栄光学園か聖光学園”に入れるって自慢してたくせに。結局、御三家の“浅野”受けて無残な結果になりましたけどね。

こんな環境で“夢”が持てますか?

予備校に行くカネもないので、宅浪。母親はそれが親戚にバレるのがイヤで、バイトを探せって・・・。そればかり。アイデムで大津苑だかの焼肉屋を見つけて面接。

社長“毎日きちんと来れますか?”
オイラ“多分大丈夫だと・・・”
社長“アンタ最低だ。多分なんていうヤツは採用しません”

家に帰ってメシの時それを親に話すと、怒られる。次にその焼肉屋の近くの吉野家。

電話口“いつまでできますか?”
ササキ“受験があるの12月までです”
電話口“長期できない方はお断りします”

最後に、京急の中吊り広告の掲出係。

電話口“ウチは二部学生以外はお断りしてるんですよ”

終了。

すべて、親に怒られる。結局、近所のコンビニ(すでに撤退で閉店)が夜勤のバイトを募集してましてね。そこと、ジモトのデパートの配送センター。そこに潜り込みました。

コンビニもジモトのデパートも・・・人生観変わりました。どっちももうなくなっちまったのが残念ですけど。まあ、日本一人口の減る街、横須賀ですから。

一冊の雑誌との出会い

そんなバイトに明け暮れてるウチ・・・。一冊の雑誌の創刊号にモアーズのところにあったまだ木造だった頃の“平坂書房”で出会いましてね。

“放送文化”(NHK出版)

“ザ・テレビジョン”

がいつしか芸能雑誌化して呆れてた頃で・・・なんだか脳ミソが満たされる! と言った記事。多くの“放送論壇”にも巡り会いまして。その頃から、“マスコミ”って種は芽生えてたかも知れませんね。

もう受験シーズン。バイトで疲れ果てて親に横浜市大の願書を出すのを忘れてたって言ったら、

“ふざけんな!”

ってまた怒られる・・・ただ、学費が安いってだけでしょ。行ってどうしろと・・・センターも散々な結果だったのに。

補欠合格も不合格・・・二浪の末

結局、明治学院大学社会学部に補欠で受かりましてね。ただそれだけ・・・結果を待ってたんですけど、なんと3月中旬になって“桜散る”の手紙。このタイミングじゃ明治の二部に行って転籍とかの手段も執れない。もう最悪。

父親に電話。

“今、国公立は二次試験をやってるだろ”

二次試験がなんたるやも分からないバカ親・・・さすが明治の農学部なんて誰も行かないとか抜かすアホ。今、行った友人が一流食品商社に就職してるよ。バカヤロウ。

そんな親がちょうど統一地方選でしてね。それの手伝いに行くことになりまして。母親は予備校に・・・って初めて言ってくれたけど、断りました。

父は当選。でも、後妻も親戚も何もしない。支持者だけが頑張ってる選挙で・・・親戚から総スカンって今のオイラの構図にソックリだけど。

その後は週1だけ夜勤遣って、勉強。しかし二浪してもセントポールは合格せず・・・あの時、絶望の淵で新宿通りを歩いたのを忘れない。

どこまでもダメなオイラを救ってくれた母校

でも、救ってくれた大学が・・・それが母校です。法学部か社会学部かの選択で・・・田嶋陽子のフェミニズム論の講義聴くのも悪くないか・・・と、思ったけど、迷わず社会学部。

それはなにより

週刊フジテレビ批評

に出ていた

稲増龍夫教授

の講義を受けたかったからに他なりません。

親にああだこうだ言われましたけどね。“社会政策科学科”って誕生したばかりのよく分からない学部に行くことになりまして。で、そこで絶望を味わうことになります。人生最悪の1996年。

つづく

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